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感情を抑えて自分を抑えて良い子ちゃんをやるのはもう卒業。30代、性と生のすべてにまつわる感情解放の日々の記録。メール相談はhttp://sarasainmidnight.hatenablog.com/entry/2017/07/22/142258

未練の手放し方/モヤモヤしてるなら一度本気で願ってみろ

先日、京都の鞍馬山に行った。

登山道に沿ってお社が点在していた。

 

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純粋に山登りたくて行ったんだけど、綺麗なお社を見ているとお詣りもして行こうという気分になってきた。

 

よし、お賽銭を投げ入れ、今の自分の願いを……

 

 

あれ。

全然浮かばない。

 

 

 

自分には確かに何か願っているものがある筈なのに、だからこそここ最近ずっとモヤモヤしてる筈なのに、何も文章が浮かんでこない。

 

無欲か?無欲なのか?ウソつけ!!

 

んで結局、「自分らしく本心で暮らせますように」みたいにボヤーーーーとした願掛けをした。

 

神様の前まで来て、こんなボヤけた願いがあるか。

そんな抽象的でわかりにくい願い事、きっと叶える方もめんどくさくて却下すると思う。

 

 

何かを願うって、実は簡単なことではないのだ。

 

願い事が叶わなかった時にガックリくることを想定して守りに入ったり、

欲求を恥じて自分で打ち消したり、

あるいは真逆のことを願ったり、

「どーせ叶わない」と願う事自体に疑いを感じたり、

いろんな思いが交叉する瞬間だと思う。

 

「(本当は辞めたいけど今の職場に恩があるから)仕事が上手くいきますように」

「(本当は告白したい人いるけどどうせ無理だから)出会いがありますように」

「(本当はお金持ちになりたいけど不相応だから)今の暮らしを続けられますように」

とか。

 

そして、雑念混じりの場合、願った瞬間に心に引っかかりを感じる。

(あれ、これ、自分の本当の願いではない?)と。

これって私だけではないはずだ。

神様の前ではウソがつけないということなのかも。

 

 

***

 

話は戻って。

 

そのあとも登山をしながら、私はお社ごとに願いを置いていった。

すると、だんだんと自分の願っていることが徐々に、徐々にクリアになってきた。

 

 

私の願い、それは、

 

復縁だった。

 

本当の本当は、元カレ(不倫)とヨリ戻したかった。

 

その想いを捨て切れてなかった。

 

 

もう手放せたと思っていたのに。

もう感じきったと思っていたのに。

でも全然、まだまだあった。

そのことを一度思い出してしまうと、もう心にはそれしかなかった。

 

それで願掛けをすることにした。

 

それがどんなにみっともない願いでも、

望みのない願いでも、

願う自分が恥ずかしくても、

もうそれらを一旦置いといて、

プライドを捨てて、本気で願う事にしたのだ。

 

そしたら、心がとっても軽くなった。

 

 

願い事はきっと、それがその人にとって適切なものであれば叶うし、そうでなければ叶わない。

願った後それがどうなるかは、神様が決めることだ。

 

そうして見事、想いは私の手を離れた。

あとは野となれ山となれ、そう思えるようになったのだ。

 

「彼を自分のものにしたい」

以前の私はそれを願ったところでどうにもならないとかいろんなことをぐるぐる考えて、その一番強い思いを取り出せていなかった。

けど、本気で願って自分の本心に初めて集中できた。

それで、気が済んだ。

 

このプロセスが大事だったのだ。

本気で願って、本気で想って、結果をみること。

これができないと、ずっとずっと生殺しのままなのだ。

 

そして残念ながら、生殺しで済ませれるほど私は中途半端な人間ではなかった。

 

願掛けっておもしろい。

あれは神様に向き合っていると同時に、自分に向き合う行為なのだ。

 

また一つ、想いを手放せた。

 

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