脱かまってちゃん!!承認欲求を手放す方法
私は長年、かまってちゃんをやってきた。
誰かにかまって欲しい、こんな私をいつか助けてくれる人がいるはず、私を見つけて、私に気づいて、私を守って欲しい…と心の底でずっと思ってきた。
他人にかまってもらいたいと思うことは恥ずかしいことだと思っていた。
ガマンして、必死に隠してきた。
そして、「愛されたい☆」オーラをガンガン出している女子を見てはみっともないなぁと心の中でバカにしながら生きてきた。
本当はそのストレートさがすっごく羨ましいくせに!
そうしてこじれていった。
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結論から言うと、
他人にかまって欲しい、愛して欲しいという期待や欲求が他人によって満たされることはまずない。
100パーセント、ない。
だって中毒だから。
求めても求めても満ちることがない欲求だから。
「こういう人が現れたら私は心底満たされるのに」とか
「相手がこういう言葉をかけてくれたら私は安心を得られるのに」とか思うけど、
これが得られたらハッピーエンドというものではないのだ。
「愛をクレクレ」しか頭にないような関係では、相手がどんな人であっても、そもそも人間関係を結べるはずがない。
そこには循環がないから。
私は長年恋愛面でそういう失敗を繰り返してきた。
でも、もうそういうのは卒業したいと心底思った。
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繰り返しになるが、承認欲求が他人によって満たされることはない。
ではどうすれば?
自分で満たすしかないのだ。
ではどうやって満たすか?
自分で自分を承認し続けてあげるのだ。
よくありがちなのが、
目に見える確かな絶対的な解を誰かから与えて欲しくて、
人のブログを見たり自己啓発の本を読んだりセミナーや占いに行ったりして、その時にはわかったつもりになる…それを繰り返す、という落とし穴。
それはまるで、優秀なコーチの力に頼って自主練を全く行わないアスリートのようだ。
トレーニングから逃げるな。
自分から逃げるな。
自分がどれほど飢えていたか、どれほど人に甘えたかったか、どれほど愛を求めていたかを知ること。
心の中にぽっかり空いた深い深い空洞を感じてあげること。
それを満たしてもらえるのをずっとずっと待っていたことを感じてあげること。
そんな健気で不器用で繊細でみじめな自分を感じてあげること。
これをひたすら繰り返すこと。
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ずっと欲しがっていたものが外から与えられることはない、と認めることは本当に勇気がいる。
自分ひとりで自分の空洞の底を見つめるのも本当に勇気がいる。
怖い。そして孤独な作業。心がつぶれてしまいそうになる。
ならばいっそ惨めな自分を責め続けている方がラクなんじゃないかと思えてくる。
でもそれを経たとき、自分自身が本当にラクになるのだ。
実は一番欲しいと思っていた心の平穏が手に入る時なのだ。