「感情と向き合う」を手放す?!①/なんにもしない生活のその後
相変わらず、ぼーーーっと、たゆたうように、流れるように暮らしています。
「最近の私はなんにもしない」とこれまでのブログでちょいちょい書いてきましたが、
「なんにもしない」って、毎日何をしているということなのか?
今日はこれについて書きます。
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年が明けた頃の私は実家の恩恵を最大限に利用して、
ただただ眠り、
気が向いたら食べ、
お風呂は入っても入らんでもいっかな、
メイクも面倒くさいからやらなーい という生活をしておりました。
その延長上に現在があるわけですが、今はどうしてるのかというと、
今は週3日だけ事務の短期アルバイトをしています。
仕事に出ている以上、食事など生活上の運営は仕事に支障が出ないほどにやっています。家事の半分以上はパートナーがやってますけど
こうして振り返ると、
自分、結構ちゃんとやってんなぁ〜
と改めて感心します。
これでも笑
世の中の「自身の完璧主義に苦しんでいる」方々、ご覧下さい。私もかつては「完璧主義」「神経質」と言われた人間のはしくれです。そのなれのはてがコレです。達成感とか成功体験って、上を目指さずとも、感じようと思えばどんなレベルの体験でも感じることができるのかも知れません。私が証明です(笑)
つまり、本当に「なんにもしていない」わけではないんです。今は。
でも、生活の中で去年と大きく変わったことがあります。
それは、
これまで自分のライフワークになっていた
「感情と向き合う」を
手放しつつある
ということです。
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私はここ10年くらい、言いようもない生きづらさを感じ続けてきました。
その原因が「自分の育成歴」や「家族との関係」から始まり、
その上にガマンや古い未消化の感情の膨大な堆積が覆いかぶさり、
その結果、「自分が何を望んでいるのか」「自分の本心は何を感じているのか」
が自分でもよくわからないほど、心がガチガチに固まってしまっていました。
この生きづらさを解放して自分らしく幸せに生きるには、
まず心の中の古い堆積物をデトックスすることが必要だとわかって、
セラピーを受けたり、心理学やカウンセリングを勉強したりしてきました。
心のことというのは頭で理解するだけでは不十分で、
腑に落ちてはじめて解放できることが多い。
幸か不幸か私は長らく優等生をやってきたため、
いつも頭で理解する癖があって腑に落ちるまでに結構な時間を要しましたが。
心を解放するために日々自分の心に問いかけたり、
いろいろなツールやメソッドを使ってアプローチしてみたり、
そのために時間もお金もたくさん、集中して投じてきました。
自分にとても必要なものだったし、やってて楽しかったからというのもあります。
自分では、なんか求道者みたいやなぁと思ってました。
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と、まぁそういった「感情と向き合う」「感情解放」ということを最近敢えてしなくなったのです。
別にやめようと思ってやめたわけではなく、自然に手から離れていった感じ。
長くなるので続きます。
次の記事では、具体的に私がどんな行動を手放したのかについて書きます。