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感情を抑えて自分を抑えて良い子ちゃんをやるのはもう卒業。30代、性と生のすべてにまつわる感情解放の日々の記録。メール相談はhttp://sarasainmidnight.hatenablog.com/entry/2017/07/22/142258

ただ祈るということ。自分の中の神聖さを思い出すということ。

 

ふと気づいたこと。でもすごく大事っぽいこと。

 

ーーー

 

私は満月と新月のとき、願い事をノートに書くということをここ数年やっています。

アファメーションっていうやつですね。

 

ご存知の人もいるかと思いますが、願いを叶えるコツとして、

「できるだけ具体的に書く」「主語は自分」「語尾は~します」などなど、

ルールはいろいろあるようです。

お金のこと、恋愛のこと、仕事のこと、いつもいろいろな願いをそのルールにのっとって書くんだけれど(叶うこともあるし、叶わないこともある)

それに関してふと思った。

 

 

私は、純粋に<祈る>ということを

忘れてはいないだろうか。

 

 

アファメーションを批判しているわけではない。それはそれとして私は今後も続けると思う。

私が言いたいのは、アファメーションとは別な、もっとあいまいで、感覚的な(でも決して弱いわけではない)願い。

 

たとえば、

「なんとなく明日がいい日になればいいな」とか

「あの人が笑って暮らせればいいな」とか

「危ない痛い目に遭いませんように」とか、そういうの。

 

 

ただひたすらなんとなく願う=「祈る」ということを、

いつの間にか忘れてはいないだろうか?

 

 

いつの間にか「願う」ということを、

目に見えるモノを自分が手に入れるためだけに行っていないだろうか??

 

 

いつの間にか神様(もしくは神様のようなもの)

エゴばかりを見せていないだろうか??

 

 

思い返せば子どもの頃は、眠りに落ちる前に「明日も楽しい一日になりますように」とか純粋に祈っていたような気がする。神様とか宗教なんてわからないけど、何かに祈っていた気がする。

そして祈るということは、生に希望を持つということに確実につながっているような気がする。

 

 

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そして。

最近私、仕事について悩んでいることが多い時期だからこそ、気づいたんだけど、

 

この祈るということの延長上に、仕事があるのだ。

人を、社会を、ほんの少しだけよくしたいという想いが形になったものが

本来の<仕事>なんだ。

 

だからその想いが通じるものであれば、職種なんてなんでもいいんだろうし、あるいは仕事以外のことでそれを実現したっていいんだろうな。

(このへんはまだ、きちんと言葉にはならない。)

 

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この<祈る>ということの大切さ、神聖さに気づいて、

いつもすごくざわざわしていた心がしんと静まるような気がした。

ばらついていた心が整ったような気がした。

 

 

なんだか長い間ずっと忘れていたことを、久しぶりに思い出した気分で、いい気分。

 

 

神社に行きたくなった。

 

 

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セラフィナイト。手に乗せると深く落ち着ける石。